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連載コラム: ICT利用先進国 デンマーク: 「競争力」と「幸福」を創り出す社会
第1回

「より良い社会を創る」デンマークのICT国家戦略 (2)

2010年6月2日
猪狩 典子 (いがり・のりこ)
国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員

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ICT利用が促進される背景とは

まず、デンマークにおけるICT利用推進の背景として、①経済危機と②高齢化という二つの国家的危機感が挙げられる。

デンマーク政府は慢性的な財政赤字に悩まされており、その健全化を目指して1970年代から継続的に「行政の効率化」を行ってきた。デンマーク国家は、国の下に、県にあたる地域(リージョン)、市(コミューン)があるという三階層を持つが、約40年前には1000以上あった市(コミューン)は段階的に統合され、2007年の大規模な行政改革によって98にまで集約している。しかし、1990年代および近年の経済危機によって、デンマーク政府はICTのパワーに頼らざるを得ない状況に追い込まれている。ICTを利用することで組織改革と業務の効率化を行い、そこで捻出した予算を必要分野に再投資しなければ、この経済危機を乗り越えられないという。

もう一つの背景は国民の高齢化である。高齢化はむしろ日本の方が深刻な状況ではあるが、デンマークの特徴は公務員の人手不足という点にある。デンマークの労働人口に占める公務員の割合は30%を超え、この10年で公務員の25%、約20万が退職すると予測されている。国民が高齢化し、医療や福祉分野の需要が増える一方で、支える側の公務員の数は減少していく。デンマークにおけるICT利用は、少ない人数で現在の行政サービスレベルを維持しなければならないという深刻な課題を解決する手段として推進されている。

このように、デンマークにおけるICT利用は、「ICTを利用した方が良い」という悠長な期待ではなく、「ICTを利用しなければ①経済危機と②高齢化という国家的危機を乗り越えられない」という「ICT利用の必然性」から始まっている。この出発点は日本のそれとは明らかに異なっており、両国のICT利用の進展度合いに大きな乖離を生み出しているのかもしれない。

電子政府を中心としたデンマークのICT国家戦略

では、具体的なデンマークのICT国家戦略はどのような内容なのか。その中心は、電子政府戦略である。デンマーク政府は、1990年代半ばから、国、地方を問わず行政間の連携、行政内のデジタル化を推進し、2000年代から「行政のデジタル化」による抜本的な「行政の効率化」を目指してきた。2007年には「デンマーク電子政府戦略2007-2010」を発表し、以下の三つの目標が掲げられている。

  • ① 国民のためのより良いデジタルサービスの開発(利便性の向上)
  • ② 国民と行政、社会全体の効率性の向上
  • ③ デジタル化推進に向けた協力体制の強化

戦略の冒頭には、「より良い電子政府の構築は、より良い社会を創り出すことができる」という政府の明確なビジョンが示されている。このビジョンは、全ての産業・分野に通じる共通の理念となり、「ICT利用の必然性」という政府の強い意思へとつながっている。しかし、その意思は決して悲観的なものではなく、ICTへの積極的な期待として「社会の効率化」「利便性の向上(サービス品質の向上)」へとプラスに転換されているのは興味深い。

調査のなかで、一貫して浮かび上がる「効率化」というキーワードの持つ意味は、デンマークと日本で明らかに異なっていた。デンマークにおける「効率化」は、国民や行政がICT利用で時間や費用を削減できるという曖昧な効果ではなく、業務効率化により組織の「人員と予算」を削減することを意味する。たとえば、国税庁では、ICTによる業務効率の効果として、12,000人の従業員を2010年までの5年間で7,500人まで削減する計画が立てられている。国から市町村への予算も、システム投資により効率化した業務分の人件費を削減するという。つまり、デンマークは、ICTを抜本的な組織や社会の構造改革に活用している。電子政府は、まさに行政をスリム化し、その余剰資源(予算・人)を医療や福祉など国民生活に必要な分野へと再配分ための手段として活用されている。

また、ICT利用の効果である「利便性の向上」も、ただ単純に便利になるという意味合いではなく、「サービス品質そのものを向上させる」という意味合いを強く持っていた。例えば、確定申告のオンライン申請では、その場で即座に還付金額が確認でき、従来の方式と比較して圧倒的に早く還付される。また申請内容の履歴が残るため、国民と行政側との手違いを防ぎ、ミスが発覚した場合には修正できるメリットもある。

このように、デンマークの電子政府は、国家的危機感を乗り越える手段として、「効率化」と「利便性の向上」の2つの側面から促進されている。

連載第2回は、ICT国家戦略に掲げられた電子政府の具体的事例として、世界から注目を集める利用者目線のワンストップ行政ポータル「Borger.dk」と、国家戦略を主導する明確な推進体制「デジタル・タスクフォース」と社会的基盤としてのICT利用(国民ID、電子署名)について紹介していく。■