読書会:國領二郎『サイバー文明論~持ち寄り経済圏のガバナンス~』

登壇者:國領二郎(慶應義塾大学総合政策学部 教授/GLOCOM上席客員研究員) 
    渡辺智暁(GLOCOM主幹研究員・教授)
日 時 :2022年12月20日(火)15:30~17:00
開催形式:zoomウェビナーにてオンライン開催

概要

インターネットの登場により近代工業モデルの上に成り立っていた近代文明が「サイバー文明」へと変化している。本読書会の前半では、経済モデルや所有権に対する考え方の変容、「持ち寄り経済」や「東洋的価値観」、「忠実義務」などの概念からサイバー文明への理解を深めた。後半はWeb3からサイバー文明との関連性を考察。Web3の認証やルールに関する課題や、実現される世界観への期待に関し、国内外の最新トレンドを交えつつさらに議論した。

講演第一部:近代工業の文明からサイバー文明へ

『サイバー文明論』というやや大げさなタイトルだが、これは、インターネットが出てきてビジネスモデルが変化し始めた頃からずっと感じていた問題意識から出発している。これまでの工業経済のモデルは非常に強く、そのモデルの強さに引っ張られるように、デジタルな財も工業製品のように販売されてきた。だがネット化、デジタル化が進むなかで、この矛盾がだんだん拡大してきた。そして、今まで工業製品のパラダイムに乗っていたものもネットに接続されるにつれて、むしろ、振る舞いとしてはデジタル経済の原理の方が大きく広がるようになってきている。近代工業の文明は様々な規範や哲学を作りながら発達してきた。基本的な哲学から倫理観、法律の体系に至るまで、自立した個人が所有権を持って物を売買するというモデルに対して、少し違う原理の経済が出てきている。ひょっとすると、違う倫理観すら求められる時代になっているのではないか。

本ではこの変化をドライブしている力について説明している。1つ目がネットワーク外部性で、これはユーザーが増えれば増えるほど財の価値が増すという現象である。例えば、世の中に1台しかスマートフォンがなければ価値はゼロだが、1個ずつ加わるにつれて、つながりの価値が指数関数的に大きくなる。このネットワーク外部性が、ネット社会がもたらした最大の変化ではないか。巨大なプラットフォーム事業者が大きな力を持って、国家でもコントロールできない状況が生まれているのがネットワーク外部性のひとつの表れであろう。2つ目がマージナルコストで、これは追加供給コストがほぼ0に近いことを指す。例えば、ネット上で、音楽が追加コストゼロで配れるという構造では価格がゼロにドライブされるので、広告費の形で費用を賄うことで、サービスを無料で提供できるという現象が起きる。さらに、ネットワーク化された経済は複雑系化していて、予測不能な世界の中でいかにアジャイルするかが大事な世界になっている。これが3つ目で、最後4つ目がトレーサビリティ。すなわち追跡可能で第二次産業革命以来の市場経済の構造を大きく変えつつある。

近代工業は、第2次産業革命の後に大量生産・大量販売を行うようになってきた。昔は地域の信頼のなかで物を売買できていたが、大量生産することで遠い所に運んで知らない人と取引しないといけないという経済状況が生まれた。その時に勃興したのが所有権販売のビジネスモデルである。追跡不可能な状態の時にはそれ以外のビジネスモデルが成立しない。そのため、国家の民法はほぼ、販売モデルを守るために所有権の話をしているわけである。こうした国家の体制や法律の体系、倫理観まで作り上げてきたのが過去200年の近代工業だ。ところが今日のIoTを使えば、世界の裏側に行っても追跡が可能という状況が生まれている。そうすると勃興するのがアクセス権の販売というビジネスモデルになる。シェアリングモデルはアクセス権販売の1つの象徴であり、ダイナミックプライシングは何時にアクセスするかで価格が変わる、アクセス権ネットモデルを前提としたビジネスモデルと言ってもいい。こうなると、この世界を規律するルールの体系も変化していく。

慶應義塾大学総合政策学部の飯盛義徳教授が提起した「持ち寄り経済」という概念がある。皆が自分が持っているものを持ち寄り、他の人に使ってもらいながら、持ち寄りの貢献に対して対価を受け取る。これまでは、持っている財を個人間で交換することでウェルフェアが高まるという発想だったが、それに対し今勃興しつつあるシェアリングモデルは、社会に対してプールして、それが欲しい人に渡り、自分も社会から受け取るというモデルになっている。西洋式の人権や個人主義といった考え方よりも、共同体的な考え方の方がうまくいくのではないかというところに至っている。WIPO(世界知的所有権機関)でも現在、データ経済を規律するためにデータにも所有権を適用した方がいいという考え方が一部にある。だが、データは社会のもので、そのなかで個人の人格は守られるべきという別の発想をしないといけない時が来ており、その議論をすべきタイミングではないだろうか。ここまでくると、単に新しい技術や商品が生まれているという考え方にとどまらず、新しい文明が登場しているというレベルで考えるべきではないかという論点をご理解いただけると思う。

私は、文明を中核的なテクノロジーと中核的な富、それから中核的な統治構造においてパターンを成している社会の集まりと見なしている。その視点に立った時、サイバー文明が立ち現われつつあると考えている。今、デジタル庁のWeb3研究会の座長をしているが、Web3は持ち寄り経済、社会貢献に対するリワードとしてのトークンと非常に相性がいいのではないかと思い始めている。ブロックチェーンをはじめとするWeb3の大きな特徴は、世界のどこででも機能するということであり、さらにスマートコントラクトを使うと、単なるお金の交換以上のルールメイキングがプロトコル上で可能になる。Web3を、様々な形でデータが飛び交う、しかも国境がない世界で持ち寄り経済を機能させるツールとして、創発的な価値創造を最大化するビジネスエコシステムが構築可能ではないか。

いただいた質問で「物権から考えるというが、デジタルグッズは既にライセンスとして販売されているのではないか」というのは、全くおっしゃる通りだと思う。ただ、今の民法や商法では物権とその対抗要件のような考え方の延長線上で知的財産権を考えているのも事実ではないか。Web3研究会でも、既存の法体系の中でどのような形でNFTを規律したらいいのか、いや、もう全く新しい独自の法律体系を作るべきなのではないか、といったことが議論されている。

また、「若年世代に共産主義への共感が増えているようだが、持ち寄り経済が実態として進み始めているという影響がある」というコメントには同感で、私の世代ではイデオロギー的、対立的に考えるが、最近の若者はもっと自然に受け止めているのではないか。

ディスカッション①

渡辺:本を通して非常に印象に残ったのが、東洋的なものへの向き合い方だ。昨今では警戒や猜疑の対象、あるいは仮想敵国という扱いをされることもあるが、先生はそれらと違う形で、中国も含めて東洋的なものに対する向き合い方をしているように感じた。

國領:中国を脅威とみなす考え方はあると思うが、中国のデジタル政策を、国民を監視してコントロールしているという側面だけを捉えて評価すると間違えてしまうとも考えている。中国のデータ政策は、確かにプラットフォーム事業者から国がデータを召し上げて、国は基本的にいろいろなデータにアクセスできる権利を前提としているので、それを国民監視のために使っていることも多分事実なのだろう。一方で、それを活用しながらオープンテータ政策をかなり強力に推進しているのも事実で、この2つのパーツが一緒に推進されている。つまり、データを国が1回吸い上げてGDPR(一般データ保護規制)に準拠できるような形で匿名化し、それをオープンデータとして民間を含む政府外に出して、AIも活用しろ、開発しろと促してその分野において世界の最先端を取っていく。この背後にデータは社会のものだという考え方が伝統としてある。それを客観的に評価しないと真の姿が見えないのではないかと思う。西側諸国では、少なくともこれまでは基本的人権と所有権の考え方に基づいて、個人情報は個人の所有物であるかのごとく守るという発想で規律している。例えば、クッキーを受け入れるかどうかのパーミッションも、この考え方に基づいて運用している。だが、誰も読まず、ほとんど白紙委任のような形でパーミッションを与えていて、プライバシーを守ることに機能していないどころか、逆効果とすら言える状況があるのではないか。あくまでも個人の人格は守りながら、公共の利益になるようなものは差し出していくことをベースとするという東洋的な規範の方がうまくいくのではないかという問題意識がある。

渡辺:「中国は非常に個人主義的で、必ずしも集団や社会の利益を重視しているわけではないのではないか」というご指摘をいただいているが、中国社会をどう捉えるかという問題もあるかと思う。もう1つ、先生の著書で印象的だったのは、東洋的な思想として着目される仏教とかアニミズム、儒教といったものが、実は社会を律する価値観としてデータと相性がいいのではないかという点だ。例えばGDPRは個人の決定権を非常に重んじるばかりに、かえって個々人のハンドルできる判断力を超えてしまうことがある。先生は、そういった形で個人の意思決定をとことん尊重するよりも、「忠実義務」のようなものを導入すれば、同意による白紙委任とは違うメカニズムによってデータの活用がより進み、かつ、プライバシーの保護も実現できる可能性があると考えているのか。

國領:ショシャナ・ズボフの本による影響があるのではないかと思うが、ビジネスモデルが基本的に利益相反しているという考え方に賛成している。データを預かる人たちが、データを預けた人の利益よりもスポンサーの利益を考えてデータを運用しているのではないか。そのビジネスモデルに内在的な問題があるのだから、利益相反を起こさないように、データを扱う事業者に忠実義務のようなものを求めるべきではないか。日本では情報銀行にその考え方があると思うし、伝統的な通信キャリアや銀行は、忠実義務を負いながらビジネスしている。そういう考え方で規律した方が、データを細かく管理していくよりは良いのではないか。

渡辺:「持ち寄り経済的な側面と既存の西洋的な所有権に基づく近代的な文明は両立するか、それとも排他的か」という非常に興味深い質問だが、どうお考えか。

國領:私は両立モデルで考えている。つまり、そんなに簡単にはなくならないが、所有権というのは、所有している人が保持しながらその利用権を差し出すという形を想定しているので、そういう意味では先ほどの共産主義を考えているわけではない。

渡辺:全てを共同で所有しようというのではなく、私有は残りつつ、その私有している資産資源を、より効率的に他の人に使わせるところに経済的なポテンシャルを見ているということか。

國領:そのようになる。さきほど「ただ乗りが起こるのではないか」という趣旨の質問があったが、事実そうなのだろう。そこで効いてくるのが、トレーサビリティの技術だ。報酬としてトークンみたいなものが出てくると、ただ乗りのような話ではなく、しっかり貢献していこう、貢献した分について認知してもらおうということになる。近代工業以前の世界に入会権とか入浜権といったコモンズの考え方もあったが、その21世紀版のことだと理解していただいても良い。単純なアナロジーだと間違えるかもしれないが、根本の考え方に似たものがあるのは事実だと思う。

渡辺:この本では経済の変遷についても非常に多くの指摘をしている。以前の著書『ソーシャルな資本主義』から継続した問題意識も多くあると思うが、いったい経済というのは今後どうなっていくのか、経済をどう捉えたらいいのかが難しくなる。冒頭のネットワーク効果の説明を聞いても、市場メカニズムが機能しなくなる部分があるという話もあるし、それから、共同体が重要になってきていて、東洋思想の文脈でいうと、シェアとか評判によって規定されていく部分が多いのではないかという話もある。さらに射程の長い話としては、これまで経済的な価値の外側にあったようなウェルビーイングや環境へのインパクトも含んだ形で、今まで経済と呼んでいたものが変容しつつあるのを見ているように思う。さらに、貨幣が持つ機能がこれまでよりもずっと弱くなり、価格に媒介された市場メカニズムとは違う形での供給や需要の調整として、トレーサビリティやクレデンシャルが立ち上がる可能性を見ているということになるのか。

國領:Webで価値が多元化するという考え方は確かにありえる。今のところ結論があるわけではないが、それぞれの分野で評価が行われ、その評価に対する交換価値というのが出てくると思う。ボランティアで朝、掃除をしたことがおにぎり1個分なのか、2個分なのかみたいな世界かもしれないし、そうではなくて、もっとざっくりとした世界になるのかもしれない。

渡辺:「持ち寄り経済のスライドがWeb3を連想させるが、それが正しいのか、共通しているところがあるのではないか」というご指摘や、「利用者のIDが非常に重要になるのではないか」「デジタル資産のクリエイターへの応援代のようなものが貨幣に代わるものに相当するものとして発明されてくるのではないか」といったような質問をいただいている。いずれもWeb3の話と密接な関連がある分野だと思うので、後ほどさらにディスカッションしたい。

講演第二部:Web3の世界観と課題

Web3は持ち寄り経済とかなり関連性が深いと思っている。「ID管理が中心ではないか」という質問は全くその通りで、Web3で大事なのはアイデンティファイア(識別子)よりアイデンティティだ。属性情報まで含めたアイデンティティの管理で、分散して自己管理するウォレットを使おうという考え方をする。そのデータの検証について認証局のような信頼できる人に検証してもらおうという考え方と、ブロックチェーン上に乗せて、透明性を出すことで検証しようという考え方が対立している。それから、プロトコルやトークンの中にアルゴリズムを入れるといった、プラットフォーマーに機能を依存するのではなくて、そういうものも外からやっていこうという考え方が出ている。これらを総称してWeb3と考えればいいと思う。ハーバード大学のローレンス・レッシグ教授が6月に来日した際、Web3をどう考えているかを聞いた時に非常に印象的だったのが、「Institutions of Trust(信頼を裏打ちする機構)がないところで、トラストを最低限提供してくれるもの」と言っていたことだ。その根源にあるのが、「コードが法律」ということで、確かにそれを聞くと腑に落ちる。

トラストが欠如している空間の中で信頼関係を作っていこうとするときのID管理についてお答えすると、データへの人格権を有する主体のコントロール下で、アントリビュートの情報を提供できる。この特徴をSelf-Sovereignty Identity(自己主権型ID)というが、核になる概念ではないかと思っている。ただし、Web3の世界がネズミ講と詐欺の塊のような状態になっているという批判ももっともな部分があり、今はそれを規制する術がない状況であることに対して、結構な危機感がある。今、デジタル庁で暗号資産を議論しているが、その規律について日本は、マウントゴックス事件以来、意外とやっていて、それなりに秩序ができている。ガバナンストークンについては税制との関係もあるが、規律の方法が考えられている。ただし、そのどちらにも乗らないようなメンバーシップの証明やアート作品の価値など、そういったものをどう規律すればいいのかといったことに結論が出ていないのが悩ましい。我々もマネーロンダリングやRMT(リアルマネートレーディング)などいろいろなことを経験してきており、その辺りを生かしながら考えていくことになるだろう。

ここのところEUや日本で、公的な認証をトラストアンカーにしながらブロックチェーンも使っていくというハイブリッドアプローチが、規律する上で有効なのではないかという仮説が出てきている。DistributedID(分散型ID)とeKYC(オンライン本人確認)を使うことによって、それぞれのトラストアンカーを国にする。ただ、いろいろな国が出しているレポートをレビューしても、皆非常にアンビバレントで、テクノロジーが生み出すかもしれない、新しい産業に乗り遅れたくないという気持ちと、ちゃんと規制しなければいけないということとの間で悶々としているようだ。
データ主権型経済では、ユーザーが一度自分が必要とする情報を手元に引き寄せて、それを他の書類と合わせて必要としているところに転送する。その際に必要のないアトリビュートは隠すことができるし、必要な情報については真正性が担保されている、ということを公的個人認証基盤で証明する。このような形でのプライバシーの守り方のアーキテクチャがある。その上で持ち寄り経済の発想で、データ共有に対するインセンティブを提供することにより、データを持ち寄ることで生まれる価値を出していこうという発想で、コミュニティをベースとしたデータ連携の空間を作っていこうということになる。

ディスカッション②

渡辺:巨大プラットフォーマーは非常に利便性の高いサービスを提供するので、ユーザーも、そこに安住してしまうのではないか。Web3はそれなりにリスクもある。今後どうなるかまだわからないところもあるが、サービスを提供する企業が間に入らず、企業による保護や救済が薄くなった世界で個々の人々が活躍できるのが面白くもあり、巨大プラットフォーマー抜きの世界を構想する上で鍵になる。でもそれを楽しめる、そしてそこから色々なメリットを得られるのは、一部の強いユーザーだけかもしれない。そういった点で、Web3の未来として今思い描かれている形はなかなか来にくいのではないか。

國領:それは全くおっしゃる通りだと思う。例えば、もらったトークンをGAFAに預ける人がいるかもしれない。そうではなくて、誰にもコントロールされたくないのでブロックチェーンの方が安心だと思っている人はそれをやればいい。それが選択できる世界が良いのではないかと思うが、この辺で技術的にどれくらいリアリティがあるか、もう少し詰めて考えないとダメなのだろう。

渡辺:質問にあったが、投げ銭や贈与みたいなものをオンラインの世界に見るという見方もある。しかしソーシャルエンタープライズのようなものと、投資とその回収という発想とのブレンドの世界に見えて、必ずしも贈与的な側面が大きいわけでもないようにも思う。それぞれ排他的な概念とも言えず、いろいろな可能性がまだあるということか。それとも、これからの経済はこういうものが強くなっていくというものがあるのか。

國領:皆が完全に学習する前に、この中間的なモデルの中で詐欺的な方へ一気に走っていくような事件がたくさん起こり、その混乱の中からどうルールメイキングしていけばいいかということがだんだんと決まっていくのだろうと思う。その間に、あまりにひどいことがあって、一律禁止ということもあり得る。そこで皆が気を付けながらやっていけば良い。FTXやNFTでクラッシュして、あの熱に水をかけられたのは、私はいいことだと思っている。

渡辺:そういう意味では、すでに冷静になって進め方を考える時期が来ているのか。

國領:そう思う。RMTの時ともよく似ている。RMTというのはゲームの世界でアイテムを売買できるのだが、これがマネーロンダリングなどに使われ、同時にガチャみたいな話ともつながり、射幸心を煽る世界と組み合わさって一時期とても大変な時があった。完全に同じではないと思うが、何度も人が入れ替わるので、きっと何度も同じ失敗をすることになるだろう。

渡辺:いろいろなデータのやり取りを考えるときに出てくる世界観は、自分に関する情報をどことどのくらい、どういう目的で共有するかしないかというものだと思う。だが一方でアバターに関する研究をしている人たちの間では、そもそも人はアイデンティティを1つだけ持ちたいわけではないし、本当の自分として、社会で扱われているもの以外のものを持ちたい人も結構いるのではないかという話が頻繁に出てくる。そういった、アイデンティティの複数化とか揺らぎとWeb3の世界との親和性は高いのか。

國領:今、公的個人認証をアンカーとした民間IDがいろいろと出されている。私は前橋でやっているが、アンカーとして公的個人認証を使っており、それによって複数の民間IDを作ることは技術的に可能だ。そのアイデンティティを別々の所で使っていくが、犯罪などがあった時は、リアルアイデンティティが出てくるという世界になるのだろう。シングルアイデンティティで複数ペルソナみたいな考え方ではないか。複数アイデンティティのような世界もあるとは思うが、そのレベルの話はペルソナとして考えると良いのではないかと思う。この辺のことを議論できるように、概念や用語を皆で共有してズレがないようにすることも大事になる。

渡辺:もう1つお伺いしたいのがビッグテック規制の話だ。従来の市場経済の機能を信奉する立場の、いわゆる公正取引・競争法の考え方がある。だが今後は、もう少し踏み込んだ規制も必要になるのではないかという議論が出てもおかしくない。しかし先生は忠実義務を意識し、信頼関係に基づいた取引関係を作るという方向性や、Web3的な世界を示されていたと思う。そのあたりがビッグテック問題に対する考えになるのか。

國領:そこは、理想と現実を上手に混ぜながら考えないと解決しないと思う。ご指摘の通り、去年ぐらいから個人情報保護的、人権的な考え方より、独禁法的な考え方で守ろうとする考え方が、特にヨーロッパで強くなっていると感じる。現実にFacebookのターゲットマーケティングの規制やAppleのApp Store分離といった動きが出ている。それはそれであると思うが、問題はもっとミクロなところでも権利侵害が起こっていることであり、大きいからというだけでは規律できないのではないか。やはりSSIみたいな考え方や忠実義務的な考え方といった別の方法論を合わせ技でやっていくしかない。金融業界で1920年代から30年代にかけてめちゃくちゃなことが起こったことに対して規制をかけたり、モニタリングするようにして発達させてきた歴史があるので、そういうところも学びながら、健全に育つことを願っている。

渡辺:最後に先生から、今後、どういったことに注目すると良いとか、ぜひこういうことを考えてほしいといったことを取り上げていただいて、締めくくりにしたい。

國領:この本の中でもAIに人格を認めるかとか、東洋哲学との関係についても書いているので、その辺も読んでいただきたい。明治維新の時に、日本は哲学から遡って法体系から全部作り直したが、それと同じような作業をしないといけない時期が来ているという覚悟を持って、事に当たることになるのではないかと思う。ぜひ、皆さんのインプットをいただけたらと願っている。

井上絵理(国際大学GLOCOM客員研究員)

アーカイブ動画(YouTube)

  • totop