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連載コラム: ICT利用先進国 デンマーク: 「競争力」と「幸福」を創り出す社会
第2回

デンマークの電子政府が成功する3つの理由 (2)

2010年6月23日
猪狩 典子 (いがり・のりこ)
国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員

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2. 社会的基盤としてのICT利用

次に、二番目の理由すなわち「社会的基盤としてのICT利用」を取り上げる。デンマークは、既に述べたとおり、明確な国家ICT戦略(電子政府戦略)に基づき、先進的なポータルにより利用者目線の電子政府サービスを実現している。しかし、魅力的なサービスを支えているのは、社会的基盤としてのICTを利用可能にする「根本的な仕組み」だ。 ここでは、電子政府戦略の2つ目の柱である「社会の効率化」を実現する鍵、「国民ID」と「電子署名」について紹介しよう。

国民ID

デンマークの国民IDは、CPR(Central Persons Registration)番号と呼ばれる10桁の個人識別番号である。デンマークに在住する場合、国民IDなしではほとんど日常生活が成り立たない。病院での診察、納税から銀行口座の開設、レンタルビデオの貸し出しまで、公私を問わず個人認証として利用されており、国民すべてが保有している。短期的に滞在する外国企業の駐在員などにも与えられるため、国民番号というよりは住民番号に近い意味合いである。

デンマークにおけるCPR番号の歴史は40年以上前の1968年まで遡り、2002年に住民票コードを導入した日本と比較すると、運用実績で30年以上の開きがある。導入の目的は税金の処理に伴うものであったが、当時は個人情報に関する世論も少なく、国民の反発なく導入に至ったという。

日本も、新政権下で2013年国民ID導入という明確な目標が設定され、2010年1月から活発な議論が始まったのは喜ばしい。ここで注目しておきたいのは、デンマークにおける「政府と民間企業との連携」という視点だ。行政と民間がCPR番号をもとにデータベースを共有しているため、様々な利便性を国民にもたらす。例えば、電話会社の事例を見てみよう。市民がインターネットを申し込む際、電話会社(注: デンマークでは、プロバイダという概念はない)のホームページから手続きをする。電話会社が政府のデータベースを利用することを承認し、CPR番号を入力すれば、自動的に氏名、住所、電話番号など、国民IDに結びついた個人情報を呼び出すことができる。このような民間と行政との連携は、利用者にとっても、提供する企業側にとっても、効率的かつ利便性の高いサービスを実現している。日本では、国民IDに関するセキュリティへの不安や個人情報保護の観点から慎重な意見も多いが、デンマークではほとんど反対意見はないというから驚きである。一旦、国民IDの便利さを体感してしまった国民は、もう逆戻りはできないのだという。

電子署名

電子署名は、CPR番号とともに、ICT利用促進において重要な役割を果たしている。電子署名はオンライン申請などの際、個人認証のためのセキュリティ機能を持つため、決裁や機密情報、個人情報を伴う手続きにも有効に機能している。

日本が注目すべきは、ここでも民間企業、特に銀行との連携という視点だ。デンマークでは銀行のネットバンキングが普及している(95%の利用率)。そこで政府は、銀行のノウハウを学び、①利用者に無料配布、②「IDとパスワード」だけの操作性、を重視し普及拡大を目指している。実際、デンマーク在住の日本人の方に話を聞く機会があったが、確定申告で利用している「IDとパスワード」は、電子署名とは気づかず利用していたという。

日本の電子納税システムなどは、セキュリティを強化するために、カードやカードリーダなどのハードを伴うアプローチを採用した。この場合、少なからず国民のコスト負担があり普及の進展が難しい。実際、デンマークでも過去にICチップ付きカードでのセキュリティを試みたが、普及せずに断念し、現在の電子署名に移行した経緯があるという。デンマークは、こうした過去の失敗を乗り越え、電子署名の普及に積極的に取り組んでいる。

3. 強力な推進体制: 電子政府の推進役 デジタルタスクフォース

最後に、デンマークの電子政府が成功する三番目の理由として「強力な推進体制」をみてみたい。

デンマーク政府のなかで、電子政府構築に向けた強力なイニシアティブをとるのは財務省配下のデジタルタスクフォース(以下、DT)である。日本では、内閣府IT戦略本部の戦略に基づき、総務省が政策の立案と推進を担っているが、デンマークでは予算を握る財務省が権限を掌握している。また、IT政策の最高意思決定機関、STS(Steering Committee for Joint Cross Government Cooperation)の事務局として電子政府に関わる全ての組織の調整役となっている。STSは各省庁の次官級官僚と自治体の代表者からなる委員会で、DTは6週間に一度STSを開催し、現在35のプロジェクトを推進している。

デジタルタスクフォース体制図
デジタルタスクフォース体制図
(出典: デンマーク政府提供資料より筆者作成)

DTのメンバーは、各省庁から集められたITの専門家からなるプロジェクトベースの組織であり、2年から3年単位でメンバーが入れ替わる。DTはあくまでキャリアパスの一つであり、民間や他の省庁へ転出していくことが通例だという。デンマークは、政府の腐敗度指数でも常に世界のトップを走る透明性の高い政府と評価されるが、ヒアリング調査で得た感触では、確かに天下りや癒着構造とは無縁な世界なようだ(むしろ、その概念すら存在しないようで、質問の意図が通じないほどであった)。

DTが電子政府の各プロジェクトを推進するために、最も重要視しているのが組織間の「コンセンサス」であるという。電子政府構築には、国、地方、民間企業も含めて様々な利害対立があるため、すべての関係組織を調整するのは困難を極める。しかし、各組織は、自らの組織だけではデンマークが目指すべき電子政府を実現できないことを知っている。デンマーク政府が掲げた大きな目標の実現に向けて、DTが中央と地方のコンセンサスを重視しながらプロジェクトを遂行することが期待されている。

もう一つ、推進の鍵になるのは国民や企業に対する明確なインセンティブと反強制的な誘導である。まず、行政への電子申請は24時間、待ち時間がなく、移動の手間もはぶけて国民や企業にとって大変便利である。①利便性、②迅速性、④正確性、③経済性の4つの視点があげられる。

また、半強制的な誘導は、北欧の手厚い福祉国家というイメージとは対極の姿勢だ。例えば、デンマーク政府は、企業と行政間の申請届出等の100%オンライン化を義務化し、2009年時点で概ね完了したという。また、2012年までに国民向けサービスの全てをオンライン化、統合することを目標としている。

DTは、より良い電子政府の実現に向けて、コンセンサスを重視し、組織間の問題点を洗い出す。そして、必要な法整備を実施し、目標期限を設定しながら厳しい進捗管理体制により着実に目標を実現している。強力なイニシアティブを持つDTの存在は、日本にも参考になるだろう。

終わりに

ICT競争力ランキングで世界的地位を確立したデンマーク。この結果は決して偶然ではなく、デンマーク政府の長年にわたる地道な努力の上に達成されていた。デンマークの電子政府を成功させる3つの理由、①利用者目線のサービス、②社会的基盤としてICT利用、それらを実現する③強力な推進体制は、日本の電子政府成功には欠かせない視点であろう。2010年現在、国民IDの議論が新政権下で行われていることに大きな期待が集まっている。今後、新戦略で掲げられた「国民本位の電子行政」をどのように実現していくのか。より詳細な目標設定と、ICT利活用を阻害する制度改革を含めた徹底的な課題の洗い出しが求められている。■