2016.05.13

OPINION PAPER_No.1(16-001)「数値目標だけを一人歩きさせない観光戦略を」

OPINION PAPER No.1(16-001)

数値目標だけを一人歩きさせない観光戦略を

庄司昌彦(国際大学GLOCOM主任研究員/准教授)
山口真一(国際大学GLOCOM研究員/講師)

◆ 我が国観光産業の発展と課題

観光産業は、2013年には9.0兆円の市場規模を持ち、名目GDP比約2%を占める大きな産業となっている(*i)。また、旅行消費額約23.6兆円、生産波及効果48.8兆円と巨大な経済効果があるうえ、雇用誘発効果も419万人と、特に地方において幅広い雇用創出が見込めるということで、経済的重要性の高い分野といえる(*ii)。この認識は政府にもあるようで、2020年までに訪日外国人を2,000万人にするという旧目標から、4,000万人にするという新目標に修正した(明日の日本を支える観光ビジョン構想会議、2016年3月)。これは、2012年以降訪日外国人数が大幅に増加しており、2015年には1900万人を超えたことを受けての修正である。

しかしその一方で、多くの課題も指摘されている。代表的なのが、宿泊施設の不足である。2020年には東京・大阪・京都等11都道府県で既存客室数が不足し、客室不足解消のために約5,700億円の新規ホテル投資が必要になると試算もある(*iii)。尚、この試算は2020年の訪日外国人数を2,500万人と仮定しているため、政府が新たに掲げた4,000万人という目標では、状況はさらに悪化する。実際、既に宿泊施設の価格が高騰している地域も出てきている。これらの状況を受け、厚生労働省と観光庁は民泊に関する規制緩和を進めており、例えば、大田区国家戦略特別区域では民泊事業者の認定が進められている。

また、星野リゾート社長の星野氏は、日本の休日集中と、それに伴う生産性の低さを問題視している(*iv)。近年インバウンドがもてはやされている旅行消費も、実際は20兆円以上を日本人の国内旅行消費が占めている。大型連休が全国同一であるということは、その巨大な消費が一定期間に集中することを意味している。設備や観光資源の管理が必須な観光産業においては、消費可能性のある期間が限られていて、その他の期間ではそれらの資産を遊ばせているという状態は、著しく生産性を落とす。実際、観光関連産業は賃金が低い(宿泊業は平均年収330万円)という指摘もある 。(*v)

さらに、観光需要の集中は、旅行者にも負の影響をもたらしている。大型連休に旅行する人が集中してしまうため、観光地が混雑すると共に、宿泊料金の高騰も招く。このような指摘は東洋大学矢ケ崎氏もしており、2010年の調査では、ゴールデンウィーク中に旅行をしなかった人の30%以上が「混雑が緩和されれば国内旅行に行くと思う」と回答したと述べている 。

このような状況を受け、「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」では、休日分散化への対処が盛り込まれた。具体的には、年次有給取得率を2020年までに70%に引き上げるほか、休暇取得の分散化のため産業界に奨励を行うとした。(*vi)

以上のように、いくつかの課題に対しては、その対策案が出始めている。しかしながら、観光産業は内容が細かく定義が曖昧なことから、産業界が戦略的に市場を活性化させることが困難であり、産業政策も打ちにくくなっている。実際、国内外で、観光マネジメントの難しさを示すような事例がある。

◆ 無計画な観光客増加がもたらした悲劇

建築家でありMITのResearch Affiliateでもある吉村氏は、バルセロナを事例に、観光マネジメントの失敗が、都市と住民に害をなすことを指摘している 。バルセロナは、1992年のバルセロナオリンピックを契機に、観光客数を増加させることを目的とした観光戦略を打ち出した。実際、1990年に170万人であった観光客数は2014年には750万人となっており、この戦略は成功したといえる。これを支えたのが、格安航空の存在であった。

しかしながら、このような観光客の増加は、ゴミの増加、騒音の増加、モラルの低下、宿泊施設の不足等、様々な害を地元住民にもたらした。また、格安航空で増えた観光客の中には、消費をほとんどしない人も多く、2007年にバレンシアを訪れた観光客の65%は、滞在中に1ユーロも使わなかったといわれている。このような観光客は、消費をしないばかりでなく、ビーチを占有し、水や電気を消費し、ゴミを出すことから、地元住民の税金で成り立っている都市インフラを使うだけの人たちとなってしまっている。

また、チープ観光の流行は、都市のブランドにも影響を与える。例えば、メインストリートであるランブラス通りを訪れる観光客が爆発的に増加し、それら目当てのチープな店が立ち並んだことにより、現在は地元住民が寄り付かない通りとなってしまった。つまり、観光客数をとにかく増やすことを目的とし、受け入れていくことが、その土地の住民のそれまでの生活を、望まない方向へ変えてしまう可能性を持っているといえる。

これは日本にも当てはまる。特に京都では、観光客の集中により、交通渋滞やごみ問題、騒音問題等の「観光公害」が地元住民を悩ませていると指摘されている 。また、都市ブランドについては、例えば、近年の訪日外国人数増加に伴う銀座の変容が懸念される。銀座は日本を代表する高級繁華街であり、そのイメージに基づいた文化が作られてきたが、前述したランブラス通りのように、変化していってしまう可能性は十分にある。それは、もともと観光資源であったはずの銀座の「銀座らしさ(ブランド)」が失われることを意味する。

◆ 観光マネジメントを意識した戦略を

以上のように、観光政策は、ただ観光客を増やして収入を増やすという視点だけでは不十分といえる。前述したように、観光産業は内容が細かく定義が曖昧であり、主体がばらばらであるため、産業全体の政策や企業戦略を打ちにくく、マネジメントが遅れている。産業政策という視点を取り入れた、観光マネジメントを意識した戦略を打ち立てる必要がある。

具体的には、来た人のニーズを洗い出すようなマネジメントを、より取り入れていく必要がある。例えば、統計データを整備すると共に、旅行者にスマートフォンを配る等の施策を打つことで、ビッグデータを取得してニーズを洗うということが考えられる。また、新事業を展開するような人達が多く出てくるように、ベンチャーに投資する仕組みを構築するということも考えられる。数だけでなく質の向上という視点では、災害や戦争等を経験した地域で、死者への追悼や悲しみを承継していくことを目的として行われるダークツーリズムを取り入れることも戦略としてあるだろう。(*vii)

現在の日本の観光政策も、もちろん数値目標だけを掲げているわけではない。しかしながら、メディア等で目玉として最も多く取り上げられるのは、インバウンド4,000万人といった数値目標である。見てきたように、産業全体を考慮した観光マネジメント政策を打たないと、むしろ都市と住民に大きな害をもたらす可能性がある。数値目標だけを一人歩きさせない観光政策を打ち出していく必要があるだろう。

*i 観光庁(2015)「旅行・観光産業の経済効果に関する調査研究、http://www.mlit.go.jp/common/001091028.pdf
*ii 国土交通省(2016)「平成27年度版観光白書」、http://www.mlit.go.jp/common/001095743.pdf
*iii みずほ総研(2015)「インバウンド観光と宿泊施設不足: 2020年までに東京・関西を中心に不足感強まる」、http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/insight/jp150810.pdf
*iv TRAVEL VOICE(2014)「星野リゾート・星野代表が語る「観光産業にいま必要な改革」とは?」、http://www.travelvoice.jp/20141014-27776
*v 日本経済新聞(2014)「観光、雇用効果大きく GDPの3.5%、自動車産業に匹敵」、http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0902F_Z00C14A6EE8000/
*vi 矢ケ崎 紀子(2015)「わが国の休暇・休日制度と需要の平準化」、『観光文化』227、12-16
*vii 井出明(2012)「日本におけるダークツーリズム研究の可能性」、『進化経済学会』

2016年5月発行

  • totop