デジタル・シティズンシップ 新年早々ものモウす オンライン・シンポジウム

登壇者:坂本旬 (法政大学 教授)
    芳賀高洋(岐阜聖徳学園大学 准教授)
    豊福晋平(GLOCOM 主幹研究員 准教授)
    今度珠美(鳥取県情報モラルエデュケータ)
    林一真(名古屋市立白水小学校教諭)
    稲垣忠(東北学院大学 教授)
    今村久美(NPOカタリバ 代表理事)
司会者:渡邉景子(東京女子体育大学 講師)
日 時:2021年1月24日(日)15:00~17:00
主 催:日本デジタル・シティズンシップ研究会
    国際大学グローバル・コミュニケーション・センター

資料

https://drive.google.com/drive/folders/1BGfkdh4UBfVp6XRx4YmYaxGoPNrHlQ-b

概要

2020年12月に発刊された『デジタル・シティズンシップ』(大月書店)の出版記念イベントとして本シンポジウムを開催した。デジタル・シティズンシップ教育とは、参加型学習によって対話しながらデジタル技術・思考を身につけ、社会を主体的につくる学びへと誘う方法を指す。
シンポジウム前半では著者5名によって全4章の内容解説が行われた。後半ではNPOカタリバ代表理事の今村久美氏と東北学院大学教授の稲垣忠氏から問題提起が行われ、最後に視聴者からの質問をもとにディスカッションが行われた。ディスカッションでは、デジタル・シティズンシップ教育の特徴、デジタル・シティズンシップへの移行するためのステップなどについて議論が交わされた。GIGAスクール構想の1人1台端末環境が整備される中で、これまでの情報モラル教育から見えてきた課題を踏まえた、子どもたちが社会参加の意義と注意点に対する理解を深めることのできる新たな教育が求められている。

第1章 デジタル・シティズンシップとは何か 坂本旬(法政大学 教授)

 デジタル・シティズンシップの教育は世界の潮流になっているが、日本はこの潮流から取り残されている。アメリカやヨーロッパでは、偽情報や陰謀論によって人々が操作され、民主主義が破壊されかねないという強い危機感がデジタル・シティズンシップ教育の推進力になっており、メディア・リテラシーやデジタル・リテラシーはデジタル・シティズンシップの要素の一つとして捉えられている。また米国連邦下院議会デジタル・シティズンシップ・タスクフォースは新型コロナウイルス感染症に関連させてデジタル・シティズンシップ教育の重要性を指摘している。

 日本では、2020年12月に文部科学省が発表したパブリックコメントの結果として「『デジタル・シティズンシップ教育』を推進し、批判的デジタル・リテラシーを育む必要がある」とする意見が取り上げられている。また文科省主権者教育推進会議の「今後の主権者教育の推進に向けて(中間報告)」では、「メディア・リテラシーの育成を学校のみならず家庭においても図ることが重要である」としている。

 小学校学習指導要領の前文には、持続可能な社会の創り手を育てることを目的とすることが書かれている。ユネスコの「持続可能な開発のための教育」や、日本政府が2019年に公開したSDGs実施指針改定でも、持続可能な社会の創り手の育成に関する同様の記述が存在する。デジタル・シティズンシップの教育は未来の話ではなく、今すぐ実行する必要のあるものである。

第2章 情報モラルからデジタル・シティズンシップへ 芳賀高洋(岐阜聖徳学園大学 准教授)

 学校での情報モラルの教育は現在、ICTの利活用を推進しつつ過度に抑制もしている状態である。ホームページの作成にイラストを掲載したら支払いの請求が来たという事例を紹介して恐怖心を煽るような教育をしてしまうと、学生がホームページを作ることへの躊躇や萎縮につながってしまう。

 こうした教育から、デジタル・シティズンシップの教育への転換を行う必要がある。そしてそれは、「見方・考え方」を少し変えることからはじめることができる。たとえばこれまで「情報社会」を、日常生活とは異質の特別な社会であると捉えていたならば、私たちの日常そのものであるのだと捉え直すことや、情報社会の特別な道徳や態度を教えるのではなく、社会で共通に必要な市民性・公共性・倫理観・道徳観を教える、といったことである。

 日本の学校では話し合いが活発ではないという課題を抱えている。そこで、話し合いについて見方・考え方を変えて、主張・意見・価値観の言い合いを目標とするのではなく、「人それぞれいろいろな考え方をする」という多様性の理解を目標とすると良いだろう。また、はじめのうちは幼稚園の先生が用いるクッション法やイエス・アンド法等を取り入れると良いだろう。

第3章 我が国の教育情報化課題とデジタル・シティズンシップ教育 豊福晋平(GLOCOM 主幹研究員 准教授)

 私からは、GIGAスクール戦略とデジタル・シティズンシップがどのようにつながるかを解説したい。ICTの活用について、日本は世界から引き離されている。学校の中でICTを利活用できていない状況であり、かつその必要性についても意識されていないという状況に私は危機感を覚えている。

 これまでも学校の中でICTを使う取り組みが行われてきたが、多くの学校ではその日常利用には至れていない。日常利用に至れない場合、今後の展望も見えてこない。無理なくICTを利用するために重要なのは、①利用頻度・時間・用途を増やして習熟機会を得ること、②授業に限らない学校生活の日常での利用を促進すること、③子どもたちが日常で利用しているデバイスが学びでも利用できるという考えを持つこと、④教員主導型の授業から学習者中心の授業へと展開することの4点があると考えている。

 これからの教育情報化では端末を学習者中心の文具とする必要がある。また授業の中だけではなく連絡帳や、係活動、生徒会などでも活用することで学校の日常のデジタル化を進める必要がある。そして校内で練習の機会を設けることで自律と活用を促すことも重要である。

 学校で機材を使うに当たって、約束事を決めることが大きな課題となってきている。子供が自分で意識を持ちつつバランスを取って使えるようにするためには、テクノロジーの善い使い手となり、安全に責任を持って互いに尊重するといった考え方が必要となる。

第4章 デジタル・シティズンシップ教育の実践① 今度珠美(鳥取県情報モラルエデュケータ)

 日本の情報モラルについての教材は、ネットでの悪い事例を挙げ、それを検討していくという内容が多いが、デジタル・シティズンシップの教材はICTの利活用や創造的な活用を前提としており、デメリットを強調しないポジティブなものとなっている。また、子供を信頼しており、守りにくい約束で子供へ負荷をかけることはしないことも特徴である。

 アメリカのデジタル・シティズンシップ教材であるCommon Sense Educationでは、ジレンマを特定し、対策のメリットデメリットを分析し、善き利⽤に必要な選択肢について議論し合意形成をはかり、対処する⽅法を⾒つけることが重視されている。また永続的に残り続ける可能性のある情報について未来に渡る影響を意識することを学び、積極的に安全に倫理観を持って⾏動する能⼒を育成し、学習者の知的創造を阻害することなく、ICT環境において⾃律的に安全に、そして責任を持った⾏動ができるよう提案されている。

 これからの児童や生徒の学習環境は大きく変わっていく。ICTの利活用を前提とし、善き利用者、創造者となることを後押しする必要がある。従来の情報モラル教育のように個人の危険回避のために学ぶのではなく、情報社会を構築する善き市⺠、インクルーシブな市⺠社会の善き担い⼿となるために学ぶという方向に転換していく必要がある。そのモデルがデジタル・シティズンシップであると考えている。

第4章 デジタル・シティズンシップ教育の実践② 林一真(名古屋市立白水小学校教諭)

 私自身が授業を考える際に、どのようにこれまでの情報モラル教育からデジタル・シティズンシップへシフトしていったのかを話したい。情報モラル教育ではデジタルジレンマのストーリーを考えることが難しかった。授業の中で取り上げる事例は「子供の実生活に即したもので、かつ多様な視点から見なければ解決につながらない葛藤」である必要がある。デジタル・シティズンシップは、心情を押し付けるものではなく、行動のための方法と理由を考えるものである。授業の初めに「何に困っているか」を踏まえ、前向きな行動を見出す活動へ展開する必要がある。道徳の授業では最終的には徳目に着陸させられる。デジタル・シティズンシップでは実現可能な行動を考え、次への一歩を明確にする。そして何を守りつつ何をしたいかをポジティブに捉え、自分や周りの人の生活を豊かにすることを考える。

 1人1台タブレット端末が導入された後の学校に求められるものに、①操作スキル・ルールづくり、②ICTのインフラ化、③情報活用能力を高める授業、④学びを深める授業、⑤教科横断的な授業の5つの段階があると考えている。デジタル・シティズンシップは最初の操作スキル・ルールづくりの段階でも重要な要素である。

話題提供+問い立て① 今村久美(NPOカタリバ 代表理事)

今村: NPOカタリバでは教育支援を20年行っている。新型コロナウイルスの感染拡大に伴っては、公的な資金援助を受けている家庭に対しパソコンとWi-Fiを無償貸与するという支援活動をしてきた。このプログラムではデジタル・シティズンシップの考え方を大切にしている。学びが止まった子どもたちが日本中にいるが、パソコンの養育能力が十分にわかっていない中で子供や家庭にパソコンを届けることに当初は戸惑いも感じていた。

 私達が提供している教育支援プログラムの利用者から、「子供にパソコンを自由に使わせたところユーチューブばかり見ていた」という声が寄せられており、私自身も同じ悩みを抱えている。本日の参加者の皆さんの中にも同様に悩んでいる方もいると思うが、講演いただいた方々はどう思われるか。

芳賀: 私も、子供が動画やゲームをずっとやってしまうという悩みを抱えている。私は動画やゲームをすることについて子供と一緒に話をすることにしている。語り合うことが大切で、これについては学校でも実践できることだと思う。

話題提供+問い立て② 稲垣忠(東北学院大学 教授)

稲垣: 情報活用能力の中で、PBLや探求学習をデザインしていくためには情報活用能力が必要で、その中にも情報モラルの要素も含まれる。情報モラル教育は2007年にモデルカリキュラムが作成され、アップデートが十分されないまま今でも利用されている。カリキュラム作成当時に情報セキュリティも情報モラルの中に含めてしまい、この良し悪しは当時も論争になった。現在は情報モラルと情報セキュリティは分けて扱われている。情報社会への参画もモラルの一部としており、モラルという単語に多くのものを含めてしまっている。

 私はこれまで、情報モラル教育は道徳や気持ちの問題というより、コミュニケーション力の教育であるという意識で教育活動を行ってきた。メールで伝えたいことが上手く伝わらなかった場合、どのような言葉遣いにしたら良いのかを学生に考えてもらう実践も過去に行っている。

 最後に著者の方々に質問を3つお聞きしたい。1つ目は、情報活用能力、情報モラルと比べたときにデジタル・シティズンシップは「スタンスの違い」以外に独自の内容があるのかどうか。2つ目は、情報モラル教育が消極的倫理や「自己で善き判断ができない使い手」を育てているのではないかという記述が書籍の中にあるが、実証データは存在するのか。3つ目は「デジタル・シティズンシップ」の良い略称や呼び方はないか。

坂本: 1つ目の質問について。デジタル・シティズンシップで独自の内容となっているのはデジタル・アイデンティティだろう。デジタル・シティズンシップでは自分がどう見られるかを意識しながらアイデンティティを形成するプロセスを学ぶ。自身がシティズン、つまり市民であることを意識する必要があるが、これを体系化しているところがデジタル・シティズンシップの独自性であると思う。

今度: Common Sense Educationは小学校低学年から学年に合わせて、高度で批判的な創造者としての責任を学ぶ内容となっている。具体的な教材を見ると、情報モラル教育では不十分であることがわかると思う。

芳賀: 2つ目の質問について。消極的倫理とは、悪いことをしないことが良いことであるというように捉えることを指す。情報モラル教育が消極的倫理を助長しているということが言いたいわけではない。

豊福: 実証の話から派生してデザインの話をしたい。今後情報モラルやデジタル・シティズンシップが求めているモデルやゴールを対比させ、それらを測るためのスケールが必要となる。現在は情報モラルのスケールしかないが、デジタル・シティズンシップの内容と対比させた質問項目を学生に答えてもらい、比較するというデザインになるだろう。

坂本: 3つ目の質問について。シティズンシップ教育という言葉が学術的に存在するためこのような呼び方になった。

芳賀: デジタルとシティズンシップを別のものとして扱うことに私も異論はあるが、普及のためには「デジタル」を付けたほうが良いと考えている。

今度: デジタル・シティズンシップという単語が学術用語であるというのは大きい。

今村: Slidoで「情報モラル教育をやめてデジタル・シティズンシップに移行するといのは拒否反応が大きくなるため、組み替えて発展させるのはどうか」というコメントがあり、理解できる。これまで情報モラル教育という言葉を使ってきた方々の気持ちも踏まえて行く必要があるように思う。

ディスカッション

稲垣: 現在はデジタル上での振る舞いとリアルでの振る舞いは地続きである。そのような中でのデジタル上でのアイデンティティ形成について掘り下げてほしい。

豊福: 上手く取れた写真や、顔を加工した写真を選んで見せることをキュレーションと呼ぶ。Common Sense Educationではこれを取り上げている。デジタル・アイデンティティについては、10代の子どもたちが持つであろう現実的な課題に沿っているかどうかが重要である。日本の学校の先生はこうした話題に追いついていない。

今度: Common Sense Educationでは「なぜ人はデジタル写真や動画を加工するのか」という題材を小学校3年生で扱う。インターネットという公共空間でどのような振る舞いをするかを考えることは、どのような市民になるかを考える上で非常に意味がある。

渡邉: Slidoに「日常利用をしようとすると『インターネットに個人情報を書けない。だから欠席連絡はフォームを使ってはいけない』等になり、個人情報保護審査会にかける労力が大きすぎて前進しない」という意見が寄せられているが、どう思われるか。

豊福: 自治体の情報システムはこれまでオンプレミスが中心でクラウドを使える状況ではないという技術面での課題は存在する。GIGAスクール構想ではクラウドを使う仕様となっているため、個人情報の関係でクラウドを使ってはいけないというやり方は、他の実践を殺してしまうので是が非でも変える必要がある。

芳賀: アメリカでは学校教育において、学校が企業に情報を提供することができるということが法律で定められている。日本でもどういった決まりを作るかを先生・学生を含めて話し合い提案していくべきで、これこそデジタル・シティズンシップなのではないかと思う。

渡邉: Slidoに「日本にデジタル・シティズンシップの概念を導入にするにあたって、現場に浸透させていくためのスモールステップはどのようなものか?」という質問が寄せられているが、どう考えているか。

坂本: 現場レベルでいうと、情報モラルの中でデジタル・シティズンシップ的な要素を入れることは良いやり方なのではないだろうか。またより大きなスケールでは、教育運動として進めていく必要もある。アメリカではメディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップをセットで法案にする運動が行われている。

渡邉: テクノロジー利用についての同意書についての質問がいくつか寄せられている。こちらについて補足をお願いしたい。

豊福: 姫路市と鴻巣市が小学校版を作成している。こちらは後ほど共有する。

豊福: ファーストステップやスモールステップの話を少ししたい。端末導入の前にまず保護者に同意書の理解をいただくことが必要。Common Sense Educationの中に、教える必要のある6つの領域と導入の時期が提案されている。

今度: デジタル・シティズンシップの普及について、内容を伝える講義だけでは伝わりづらい。模擬授業などを経験したり先生に実践したりしてもらうと違いがわかる。実践することは普及させる上で非常に重要であると考えている。

林: 学校のルールをどう決めるかを悩んでいる先生が多く、作成したルールを見てほしいという問い合わせが私にも来る。そしてそれらのルールの中には「何々しなければならない」や「何々してはならない」といった禁止に関する単語が非常に多い。これに対して私は、「何々を守りつつ、こうしていく」というような前向きな表現を入れるように伝えている。端末の利用に関する学校のルール作りは大きなポイントになると考えている。

今村: 今まで当たり前だった校則を、対話を通じて見直す活動の普及活動も私は行っている。その中で携帯の持ち込み、配布されたタブレットとどう向き合うかという話が必ず出てくる。デジタル・シティズンシップから入りづらい場合、学校環境のルールの見直しから入るのも良いかもしれない。

渡邉: 最後にお話したいことがある方はどうぞ。

芳賀: 書籍の中にはデジタルヘルス、デジタルウェルネスの話が出てくるが、これらについての議論が足りていないと感じる。これらは継続的に実践していく必要がある。健康とは何かといった内容でもあるので保健体育の授業でやるべきだと考えている。

まとめ、閉会挨拶

稲垣: デジタル・シティズンシップでも情報モラルでも、解決の必要があるのは授業観であったり学校文化であったりする。コロナによって、学校以外の場で学べるということに保護者を含め私達は気づいた。学校に何を価値として求め、どういう力を育んでいくのかというところに、デジタル・シティズンシップ、情報モラル、情報活用能力は欠かせない。これらの着地点を探す試みが今回の書籍なのではないかと考えている。

渡邉: 情報モラルとデジタル・シティズンシップで敵対するのではなく、それぞれの着地点は案外近いところにあるのだから、着地までにどのような軌跡を描くのかが大事だとは思うが、双方の歩み寄りも必要なのではないかと感じた。

執筆:豊倉幹人

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